僕がフォーカルジストニア(音楽家のジストニア)を発症したきっかけの一つに
「ある特定の一音をうまく歌えることのみに特化した練習をした。」
というものがあります。
パフォーマーならば誰しも、ちょっと苦手な音階だったり、聴かせどころとしたい音があるものだと思います。
過去の僕はそういった音を「それっぽく、何となく上手く聞こえるような」歌い方を模索し続けていました。
前後のフレーズのつながりや自分の楽器(身体)のことなど考えず、ただひたすらにその一音だけを良くすることだけを考えて。
身体にわずかな違和感を覚えながらも練習は止まりませんでした。
他の手段なんて自分には思いつかなかったし、目先の「良い音」の誘惑にはあらがえなかったのです。
いま思い返しても非常にハラハラする”背伸びの仕方”だったように思います。
なにに思いつめられてそこまで取り組んでいたのか…
それはもう思い出せませんが、結果としては「歌声をほぼ失う」という深刻なペナルティを背負うことになりました。
もし、いまの僕が過去の自分に会ったとしたら何と声をかけるだろうか。
「いまその音を歌ったとき、身体はどんな感覚だった?喉への負担はどの程度だっただろうか。」
「ちょっと録音して聞き比べてみようよ。その音と、前後のフレーズを。音質(声質)が明らかに凸凹しているように感じないか?」
「その音ばかり繰り返し練習してるけど、本番では一曲通して歌うことになる。最初から歌い始めたとして、今の歌い方を再現できるスタミナはあるかな。」
「歌っているとき、”できるだけシンプルな意識を一曲中ずっと持つ”ようにしてみたらどう変化するか試してみないか。」
たぶん、当時の僕からしたら『うるさいおっさんだなぁ』などと思うかもしれないですね。笑
でもどうか思い出してほしい。君はその”音”ではなく、その”曲”を楽しく歌いたいから練習してるんだ。
しんどいのは知っているけど目先の良い音に惑わされて、大きな目的を見失うな。
頼んだよ…(切実)
ボイスケアサポーター 田中眞
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