本番といわれる舞台の上に立ったら、僕たちはほぼ確実に1曲通してパフォーマンスをしなければなりません。
聴衆側からしてみれば「何を当たり前な」と思われるかもしれませんが
僕は常々、この「1曲通して演奏する」という行為の尊さと難しさを痛感しています。
僕の場合ですが…普段何気なく練習しているフレーズも、通して歌ってみると音が全く違う表情を見せる、ということがよくありました。
・取り出して練習した時にはいい感じに歌えていたけど、通してみたらバテて声が響かなかった。
・何度やっても歌い回しにしっくりこなかった部分が、通して歌うことで前後のフレーズを意識した自然な表現ができるようになった。
つまりワンフレーズを取り出して演奏したときと通して演奏するときの心身に「ちがい」があるということになりますが、
自分のリハビリ記録をさかのぼってみても、この「ちがい」によってはじめて見えてきた課題や解決策というのは多かったように感じます。
『1曲演奏してみなければわからないことがある。』————
できればその「ちがい」はなくした方がいいというのは感覚的に分かってはいるのですが、ゼロにすることは大変難しい。
フォーカルジストニア(音楽家のジストニア)という厄介な隣人といっしょにいる今はなおさらです。
ゆえに今の僕たちにとって、1曲演奏するという行為はとても難しく、また尊い経験である、といえるのではないでしょうか。
本番にせよ練習にせよ、通して演奏することは往々にして大変なものですが、得られる経験というものもまた大きく独特なものだと思います。
ヒーヒー言いながら演奏したときの身体の緊張具合や、思わず心が動いた瞬間をよく覚えておくと症状改善の糸口が見つかるかもしれません。
1通して演奏するということは大変で、尊い。
普段の練習との「ちがい」を楽しめますように。
ボイスケアサポーター 田中眞
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