あたらしく取り入れた発声法がしっくりいかない時、それが自分に合っていないのかただ慣れていないだけなのか悩む時があります。
このところ、それを見分けるカギとなるのは「発声時に思いうかべる意識の複雑さ」なのではないかと感じています。
・・・
発声障害などに代表される局所性ジストニアは、特定の動作や職業との関連が深い不随意運動疾患です(不随意運動=本人の意思と関係なく筋肉が勝手に収縮してしまう状態)。
原因は諸説ありますが、特定の動作を繰り返すうちに脳が誤った神経路を築きあげてしまい、不随意運動が習慣化してしまったという説が有力です。
症状も厄介ならば対処法も厄介なもので
改善のためにはこの不随意運動を抑えるのと同時進行で、あらたな運動習慣も定着させる必要があるのです。
と、こむずかしいお話が続いたところで冒頭の話題です。
この「あらたな運動習慣」を身につけるために日々練習を続けるわけなのですが、
何かしらの発声法が定着してきたとき・・・僕は自分の意識がすごく簡略化されていることに気が付きました。
ていどにもよりますが、練習の初期段階においては意識することというのは膨大にあります。
これくらいの息を吸って、姿勢はこの程度を保ち、咽頭の筋肉はこれくらいの緊張度で…
などなど、もう頭の中は色んなワードでいっぱいになります。
ところがそういった長く複雑な意識たちは、何度も繰り返すうちに、自然と
やや斜め上にむかって声を飛ばす
というシンプルな意識に変わっていくことに気がつきました。
当たり前といえば当たり前のおはなしなのですが…個人的にはちょっとハッとする発見でした。
つまり、複雑すぎる意識が頭に浮かぶときはその発声法が身についていないサインとみていいのかもしれません。
そして発声に対する意識が大きく、長く、複雑になれば本番で失敗する確率は高くなります。
だってこちらは
「不随意運動を抑えるのと同時進行で、あらたな運動習慣も定着させる必要がある」
というただでさえ繊細な課題を抱えているわけですから、すこしでも意識を軽くしておかないとすぐ脳内がパンクしてしまうのです。
もし意識が複雑な状態で失敗しているのならば、そこで「この発声法は合っていない!」と切り捨ててしまうのはちょっと勿体ないかもしれません。
意識がある程度シンプルに…簡略化されたあとの方が、冷静に発声法を評価できるのではないでしょうか。
ここでもう一度ふりかえってみましょう。
今日、自分自身が意識して臨んだその発声法はどれくらいの意識をもって再現していただろうか。
「メソッドが不適切」と「ただ慣れていない」を混同していないか…?
その答えは、頭の中に思い浮かべる文章量がヒントになると思います。
ボイスケアサポーター 田中眞
\ オンラインにて体験レッスン受付中 /
コメント