感動させられる音楽ってなんだろう?というお話

感動させられる音楽ってなんだろう?というお話

こんにちは。ボイスケアサポーターをしています田中眞です。

このところ、人を感動させられる音楽について

ぼんやりと考える時があります。

僕自身、これまで音楽を聴いて感動した経験は多くあります。

どの演奏にしても魅力的で

周りの景色がふっと溶けてなくなるような感覚の中、ひとつひとつの音に惹きこまれたものでした。

ところが最近になって

僕の「感動した理由」に共通点があまりないことに気がつきました。

・非常に高い技術を持って演奏された音楽

・音楽に対する深い解釈と、それを表出させるのに十分な表現力を持った演奏

僕がもともと中心的に勉強していたクラシック音楽界では、主にそのようなパフォーマンスがしばしば聴衆を感動させます。

技術的に完璧であることなどありえない「人間」という生き物が、大舞台で高い難易度の曲に挑戦し、その焼けつくような緊張感の中で見事に演奏しきった時の感動は計り知れないし、

楽譜に込められた音の意味や魅力をくまなく汲み取り、なおかつそれを聴いている人に届けることが出来る方の演奏も、きっと感動できるでしょう。

自分の「感動した記録」を紐解いてみても、このような演奏が該当したことはそれなりに多いです。

しかし、それ以外の理由で感動することも確実にあります。

たとえば、人が好きな場合(ちょっと怪しい書き方だ・・・)はどうでしょうか。

・出身地、出身校が同じ・共演したことがある・舞台姿が好みなど

演奏者そのものに何かしらの親近感や好感を抱いている状態で聴く演奏は、いつにも増してより心を動かされる気がします。

曲そのものがメチャクチャ好きで感動する、ということも多そうですね。

演奏している姿自体に感動することもあります。

たとえば・・・自分とは全く面識のない子どもたちが

心から楽しそうに歌ったり楽器を弾いている姿を見たとき、じわーっと心が満たされた経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

楽器に対して思い入れの強い方・・・

例えば職人さんや楽器メンテナンスを仕事にされている方は

舞台上の演奏者だけではなく、自分が仕上げた楽器が立派に音を奏でている姿に心を打つ

なんてこともあるかもしれません。

音楽で人を感動させるには、技術や表現力は必ずしも重要ではない。

などという気はありません。

ただ、音楽を聴く人というのは

それぞれがいろんな思いを抱いて聴いているということは覚えておいてよいのかなと思います。

新型コロナウィルスの影響もまだまだ続いている中ではありますが

対策を徹底したうえで、演奏会やライブが少しずつ(本当に少しずつ)開催されるようになりました。

ステージ上に注がれるその拍手や声援は

何に突き動かされて生み出されるものなのでしょうか。

演奏者?作曲者?楽器?・・それとももっと別のこと?

演奏する側にしても聴く側にしても、ちょっと考えてみるのも面白いかもしれませんね。

それでは。

感動させられる音楽ってなんだろう?というお話

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