発声障害を克服した「あちら」としていない「こちら」?

発声障害を克服した「あちら」としていない「こちら」?

こんにちは。ボイスケアサポーターをしています田中眞です。

発声障害の症状がひどくなり、歌声はおろか日常会話さえままならなくなっていた頃

僕は本気で、「もう自分は一生このままなんだ。」という思いで暮らしていました。

当時は絶対に治るわけがない、もう何をしても変わらない…というちょっと後ろ向きな自信にあふれていたように思います。

打開策を見つけようと必死になる反面、発声障害を克服したという方の情報を見かけては

どこか遠いことのように「自分には縁のない世界だなぁ」などと感じていました。

例えるならば

知らず知らずのうちに、発声障害に悩み苦しんでいる「こちらがわ」と、克服し明るく暮らす「あちらがわ」という”島”のようなものを創りだしていたようです。

「こちら」と「あちら」のあいだには深く、広い海があります。

橋も渡し舟もなく、完全に切り離された一対の孤島。「こちら」が「あちら」にうつるための手段はない。

「あちら」にいるひとびとは、もともとの生まれが「あちら」だからあんなに楽しそうなのだ・・・

・・・

現在、僕は当時でいうところの「あちら」に立っているといってもいい状態です。

不可能とさえ思っていた「あちら」にいくためにどんなことを行ってきたのかは、はっきりと言葉で表すことができませんでした。

ある日突然、スムーズに声を出せる”何か”をつかみ、その発声法をより確かなものにしようと躍起になっている内に

いつのまにか「あちら」の地にたどり着いていたというような感じです。

「こちら」と「あちら」は、地続きである。ー

気力、体力、そして目指すべき方向がしっかりと定まっているのならば自分の足でもじゅうぶんにたどり着ける土地である。ー

そう気が付いたのはしばらく後のことでした。

でもそれに気が付いたはいいが、僕はそこからいったい何を伝えられるのでしょうか。

いつまで「そちら」にいるつもりなんだい?はやく準備して「こちら」においでよ。

などということではない。

「こちら」も「あちら」も本当は幻想だ。あなたも希望を捨てずにがんばりなさい。

ということでもない。

答えはもっとボンヤリしたもので、『どちらにいるのが楽しそうかを考えてみよう』というような言葉がいちばんしっくりくるような気がします。

ちょっと訳が分からないですね。苦笑

つまり、僕の場合は「こちら」にいるのにちょっと飽きたから「あちら」に行ったのだと思います。

なさけない告白ですが、僕は当時あきらかに「こちら」にいることを楽しんでいました。僕にとってはどうしてもそれが必要だったのです。

自分の力ではどうすることもできない恐怖。それに追いやられ、絶望することしかできない哀れな声楽家というドラマチックな展開。

「声を失ったオペラ歌手」…職業上どうしても必要な能力を奪われるという、敬愛する作曲家と類似する状況。

“悲劇のヒロイン(ヒーロー?)”などという安っぽい表現では到底太刀打ちできない、本物の哀しさ。

どうだ、これが今の僕だ。

苦しそうだろう。悲しそうだろう。そうだ、もっと僕を憐れんで、慰めてくれ。

「かわいそうだ」とすり寄ってくれ。僕は不幸な人なんだ!

当時の僕に、もし「君、今の状況をどこか楽しんでないか?」なんて言ったら

顔を真っ赤にして反論するでしょう。が、残念ながらこれが本音です。

発声障害を忌み嫌いながらも、どこかそれを利用して他人から慰めてもらうための材料としていたのです。

治す方法が見つかればいいなぁと思う一方で、治らないことを信じ、それを願うことで「こちら」と「あちら」は切り離されたともいえます。

ですがある日、僕の楽しみは急に矛先を変えます。

まるで「こちら」の島で自分を責め抜くのに飽きたかのように、発声法を一から考え組み立てなおすことに没頭するようになりました。

それからあとは先ほどお話したとおりです。

身もフタもない、といえばその通りだと思います。

ひょっとしたら「こちら」と「あちら」は心身の状態と連動し、ぷかぷかと浮き沈みを繰り返していて

僕は、浮いて地続きになったその瞬間に歩いて渡ってきたのかもしれません。

いずれにしても

「ここにいてもあんまり楽しくないな。」

と思った瞬間に、「こちら」と「あちら」はつながり始めたと考えられます。

ごくたまーーーーーーーーに

あ、この人は昔の自分にそっくりだ。という方をお見かけします。

口では「どこかにいいお医者さんがいれば」「自分に合う発声法がみつかれば」といいつつも、自らはそこから動かないという人。

物申すことなどできません。それはどうしても彼ら彼女らにとって必要な時間なのです。

頑張れば、「こちら」にいることさえ楽しくする方法だって見つかるかもしれない。

僕もまた、いまの「こちら」にいることが楽しくなくなったなら、苦しさに身を委ねる「あちら」に行きたくなるのでしょうか。

いや、僕はもう少し「こちら」でやっておきたいことがあるので、当分は「あちら」には行けないと思う。

少なくとも2021年いっぱいは、ね。笑

今年も間もなく終了ですね。皆様も良いお年を。

それでは。

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