こんにちは。ボイスケアサポーターをしています田中眞です。
歌を勉強していたひところ、僕は「なんとなく歌うこと」を嫌っていたように思います。
いい歌を歌うには
きちんとした根拠のあるテクニックと、理由の伴った表現をもって歌わなければならない、と。
「なんとなく」で歌ったものなど中身がないし、それをもう一度再現することなど不可能だ、と。
自信のない僕はとにかく何でも理詰めにしたかったのでしょう。
しかし今では「なんとなく歌うこと」もまた大切なことだと思いはじめています。
音声学的に正しくないからダメ!他人に説明できないからナシ!と切り捨ててしまうのではなく
たとえ「なんとなく」でも、歌っていて身体が楽だったり単純に楽しいと感じるのであれば、その感覚を大事にしてあげてもいいのではないでしょうか。
少し話がそれてしまいますが
僕がフォーカルジストニアの勉強を始めたころ、とにかく人体の構造と歌う時の運動に対する理解を深めようと、音声学や解剖学などの本や論文を読みました。
納得できた部分は多く、それは自身のトレーニングにもボイスケアサポーターとしての指導にも大いに役立つものもありましたが・・・
その一方で、理屈や根拠や名前を追い求めることに一抹の不安を感じてもいました。
つまり
そういった”型”のようなものにはまることだけを考えてしまうと、「なんとなく」のような形にできないものを受け入れられなくなってしまうのでは、と思ったのです。
科学的な説明ができると、たしかに良いことはたくさんあります。
前述したとおり、もう一度歌ってみるときに科学的な根拠があれば再現しやすいですし、筋肉の名前や構造は誰にでも共通して持っているものなので、説明するときに説得力があります。
感覚表現の幅も広がりますし、勉強をしておいて損はありません。
ただ、そういった科学的な正しさや説得力を優先しすぎて自分の感覚をおざなりにしてしまうことはもったいないと思います。
理屈と感覚。どちらを重視するべきかと聞かれれば・・・
僕はやはりご自身の感覚をまず大事にしたうえで、理屈はその感覚を後押しするためのツールとして活用されることをお勧めします。
腹式呼吸も共鳴も、その勉強をされることは大いに結構ですが
「なんとなく身体が楽だ!」
「よくわかんないけど声が出るって楽しい!」
という気持ちを、まずは何よりも大切にしていただきたいと思います。
理屈を知るのは
「なんとなく」を堪能した、それからあとで良いのではないでしょうか?
理屈人間のくせにぼーっとした、そんな男からの意見でした。笑
それでは。
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