こんにちは。ボイスケアサポーターをしています田中眞です。
僕が発声障害に深くなやんでいた時期、「声が出ない」という身体的な悩みに加え
「声に関するちいさなことをすべて気になってしまう自分」という
気持ちの部分で苦しめられた経験がありました。
もっと鈍い(!?)、気にしないヒトになれたら、どんなに楽だろう・・・
そんなことを考えていたような気がします。
今回は自分の声を「気にしないヒト」について考えていきたいと思います。
「気にしないヒト」になるということ
声が不調になる前と、なってしまった後との決定的な違いとして
「声を出している自分が気になってしまうかどうか」
というものが挙げられます。発声障害の肝ともいえる要素かもしれません。
ふとこれまでの自分を思い返してみても
発声障害になってからは、とにかく自分の声を自分の耳で聞きまくっていました。
周りの方や過去の自分と”聴き比べ”をして、今出した声に一喜一憂していた記憶があります。
しかし、いくら自分の声を聴きすましていても
対処としてその先をどうしたらよいのかわからず、むしろ声の悪いところばかりが目立って耳についてしまい
発声に対する恐怖心ばかりが募ってしまいました。
そうなるとやはり「自分の声を気にしないこと」が大切だ!ということになりますが…反対にこうも思います。
「それができれば苦労はしない!」と…。苦笑
これは持論なのですが
「気にしない」をすぐその場で実践できる方法、というものは無いのではないかと考えています。
これをすれば確実にできます!という確たる方法があるものではなく
「何をどうしたというのはよく覚えてないけど、いつの間にか気にならなくなっていた」
という方がなんとなく現実的に聞こえてきます。
“気にしない人”になるためのヒントを考える
でも、確実な方法はないとしても
「いつの間にか気にならなくなっている」自分を作り上げるための要素や指針のようなものはあるはず。
次章からは「気にしないヒト」を組み立てるための要素を具体的に考えてみたいと思います。
気にしない=自信があるということ?
思い返すと、自分に自信があるときは声を気にしすぎていなかったと思います。
ひとくちに”自信がある”といっても色々あると思いますので、もう少し掘り下げて考えてみましょう。
たとえば普段よりも声の不調を抱えていたとしても、その不調を乗り越えるためのプロセスや方法が自分の中でハッキリしている時はどうでしょうか。
少しくらい調子が悪い期間が続いているけど、このルーティンを続けていけばやがて復調する・・・というような後ろ盾があれば
問題解決に自信がつき、声のことが「気にならないヒト」になれるかもしれません。
ボツリヌス注射をはじめとする医療行為を受けた後の、快調時にも自信が出てきて声のことが気にならなくなるというお話もよく聞きます。
たとえ具体的な解決策を持っていなくても
「○○の時だって何とかなったのだから、今回も乗り切れる!」
と、同じ状況を経験してきたからこそ湧いてくる自信もあるでしょう。
気にしない=問題を絞り込めること?
いま本当に気にしなければならない問題はどこなのか
という絞り込みができている時は、気にしないヒトに一歩近づけていると考えられます。
発声障害に悩む時間が長くなってくると、どうしても
今声を出したら失敗するんじゃないか
ちゃんと息を吸っていないと危険だ
と、事前にさまざまな問題を察知できてしまうようになります。
それが良い方向にはたらく場合ももちろんありますが、多くの場合はただ怖がってしまっているだけということもあります。
声を出す恐怖心に囚われすぎている=気にしてしまうヒト
ともいえるかもしれません。
気にしないヒトは、おそらく無意識にその恐怖心を押し殺す作業ができているのではないでしょうか。
目の前の問題に対して
あらたな対策を考え「得る」ことよりも、考えることをやめる→判断をある程度で断ち切って問題を絞り込んで「見切る」。
現在の状況をぜーんぶ丁寧に考え込まず、取捨選択をすることで心身の負担を減らしている。
気にしないヒトは、まさに適材適所をうまく作り上げているといえるでしょう。
最後に
いかがでしたでしょうか。
文章のボリュームに似合わず、我ながら答えのないテーマを選んでしまったなと思います。苦笑
じぶんの声を気にしないということは、声の不調から克服したと考える方は少なくありません。
いわばゴールを想像するようなもので、途方もない道のりに見えます(まさに”これができれば苦労はしない”)が
目指すべきゴールを具体的にする作業は決して無駄ではないと思います。
皆様もぜひ、「気にしない」とはなにかを、ちょっと気にしてみてください。
それでは。
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