声が出ないというお悩みに、僕が「わかる」と言えない理由

思うことなど

こんにちは。ボイスケアサポーターをしています田中眞です。

発声障害向けのボイトレをしていると、症状や声のお悩みを語るお客様の話に何度も

「それ、わかります。」

と言いたくなる時があります。

声帯に器質的な異常がないにもかかわらず、声が出づらい。

僕も同じような経験をしてきたものですから、思わず共感の言葉が出てきてしまうのは当たり前かもしれません。

ですが、一方でこうも考えます。

僕は果たしてお客様のお話に対してどこまで共感できているのだろうか、と。

結局のところ、僕がほんとうの意味で共感できるのは

声の出しづらさを感じる時の身体的な苦しさだけなのではないかと思います。

電話対応で声が詰まってしまい、電話越しに何度も聞き返されて悲しかった

クレーマーに理不尽な要求をされたとき、声が震えてしまったせいで毅然とした態度を貫けず悔しかった。

おかしいと思い病院に行くも、診察室に入ったとたんに声が出てこちらの悩みを十分に聴き入れてもらえず辛かった。

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どれも実際にお客様からお聞きしたエピソードです。

でも僕は、同じ発声障害を患った過去がありながら

これらのお話を「想像し、寄り添う」ことは出来ても「共感する」ことは出来ないかもしれません。

そんなとき僕は、つい口から出そうになる「わかります」という言葉をつぐんでしまいます(思わず言ってしまう時もありますが…割と後悔したりします)。

思うように声が出ないという状態は同じくとも、そのすぐあとに続く人間関係への影響力や精神的はダメージは人それぞれ違う。

声を出すということは単なる運動以前に、ひとりひとりの人生とあまりにも深く結び付いているものだと思います。

それはもう、声が出づらいことで言葉にできないほどの苦しいご経験をされてきた方がほとんどでしょう。

それほど深く絡みついた悩みを、お話を聞いただけの僕なんかに「わかる」わけがない、と感じてしまうことがあるのです。

考えすぎでしょうか。

たぶん、考えすぎです。笑

僕はきっと、お客様の深い部分での苦しさや悩みには一生共感することができない。

この記事を見てくださっている皆さまも、たぶん僕が経験した苦しさはわからない。

声が上手く出せないことで、その人や周りがどう感じ、何を思いながら生きてきたのか。それらはずっとその人の中にだけ留まるものなのだと思います。

ですがそこで絶望したりはしたくないものです。

よくないのは

理解できる部分だけをみて全部わかった気になることと

わからないことだけをみて全てをあきらめてしまうこと

なのでしょう。

幸いにも、「想像し、寄り添う」ことで心が軽くなったとお話しくださる方がいらっしゃいます。

僕はお客様のお話に全て共感することは出来ないかもしれないけど、気持ちを添わせることで少しでも楽になれるのならそれで良いような気もしています。

あれ?ひょっとしてこれが「わかる(共感する)」ということなのか・・・??

2020年ももうすぐ終わりですね。

来年もまた、より多くの方の悩みを想像し、気持ちを寄り添わせることが出来ますよう。

良いお年を。

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