発声障害を克服するということ

もし明日、自由に声が出せるようになっていたらどうするだろう。

昔、ときどきそんなことを考えていました。

もちろん、発声障害と向きあうには「莫妄想」なのですが笑

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僕はきっと大喜びしながら、大好きな歌を歌いまくるでしょう。

大きく、小さく、表情豊かに。そしてきっとその後は嬉しさのあまりおいおい泣くのでしょう。

おしゃべりもしたいですね。

発声障害があった時には声が出づらくて躊躇していたけど、今ならなんでも話せる。

家族と、友人と、先生方と・・・ようやく面と向かって話せる自信がついたのです。

そして、ようやく気づきました。

ああ、そうか。

僕がいちばん望んでいることってこれだ。ただ自信が欲しいだけなんだ、と。

僕にとっての「克服」は、症状を無くすことではなく自信を持つこと。

自分自身を受け入れ、好きになること。

それが達成できてはじめて、僕は自分の「発声障害を克服した」と言うのでしょう。

声が詰まったり裏返る自分のままでは、どうしても受け入れることが出来ないからトレーニングをしていただけのこと。

極端なことを言えば

自信さえついてしまうのなら、声が詰まったり裏返ったりしていても構わないということだと思います。

当時を思い返しながら、もう一度想像する。

もし明日、自由に声が出せるようになっていたらどうするだろう。

歌ってしゃべっておいおい泣く中で

きっと僕は声が出せる嬉しさよりも、ようやく自分を好きになれたことに嬉しさを見いだすのだと思います。

そうなると

本当の意味で克服したと呼べるようになるのは、もうほんの少しかもしれません。

トレーニング、頑張ります。

自分を受け入れられる、その日まで。

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